雨読









魂のこと 《2005》






   【目次】

   「勝海舟」  「良寛と海舟」   「みんな、敵がいい」  「苦しみの日々」   「

   「李賀」  「小人」  「志と願」   「幸福論






  「幸福論」  20050924   【目次】

 『裸のサル』で有名な英国の動物行動学者、デズモンド・モリス氏の近著に『裸のサルの幸福論』(新潮新書)がある。学生の頃『裸のサル』を愛読していたので、この本も手に取りちらちら眺めていたら、はっとさせられる一節に出会った。
「人生とは、短い幸福によって時々妨げられる、苦痛の連続」(p.13)
であると言う。
 これは文中ある皮肉屋の言として、軽く扱われているにすぎないとはいえ、モリス氏にとって、会心の内容だったに違いない。巻末に掲載されている「幸福の定義集」を見ても、次のような文章が採用されている。
「幸福とは、不幸な季節の間に訪れる小休止  ドン・マークィス」(p.177)

 ところで当のモリス氏自身は、本書の中で動物行動学的な観点から、さまざまな種類の幸福を細かく分析した上で、これを、
「物事がよくなった時に我々が感じる突然わきあがってくる喜びの感情」(p.125)
と定義している。あくまで幸福とは、個人的な感情と考えている点に、注意を要する。

 同じ境遇にあっても、ある人は幸福だと感じ、ある人は不幸だと感じる。これはその人が、与えられた状況を望んでいたかどうかという、きわめて個人的な思いにより左右される。要するに自分の欲望が叶うかどうかで、幸福の有無は決定されるのだ。
 そこでおこがましくも、私見を述べさせていただければ、
「幸福とは、わがままな自分の欲望が、たまたま叶ったときに起こる、喜びの感情」
と定義したい。こうした感情を得ることが、はたして人生の大きな目標となるかどうかを、一度よく考えてみるべきであろう。





  「志と願」  20050813   【目次】

 「志」と「願」とに、その人の真実がはっきり現れる。
 以前、自分の本質とは、種々の属性に関係なく、何かをなし、またなそうとする意志に他ならない、と考えたことがあった(19980408)。ところでそれならこの意志とは、どこから生じるのだろうか。

 ただ漫然と日常生活を送っていても、はっきりとした意志など、わき起こるはずがない。現状をなんとかしたいという、切なる「願」があってはじめて、強い意欲が喚起される。
 重要なのはこの自己と世界を、冷静に観察して理想を立て、その実現をはかる「願」であり、これが明確であればあるほど、強力な意志が生まれ、目標へ向けて前進できる。

 その人の本質というべき意志=「志」は、その人が懐く「願」によって決定され、こうした「志」や「願」を失うのは、人間性を放棄するに等しい。





  「小人」  20050707   【目次】

 中国には古代から「小人」という人種があって、「大人」や「君子」などと対比されている。
 『論語』にみえる用例からすると、大きな仕事ができず、名利にとらわれ貪欲で傲慢で、天命を知らない人間のこととされている。 つまりは、小心な俗物といったところだろうか。

 ところでわが身をふり返り、自分がこうした「小人」に属するのかどうか、もうひとつ判断できなかった。これでも「君子」たらんとする志ぐらいはあるので、なんとか「大人」の末席にでも連なりたいものだと願っていた。
 しかし最近、道元禅師のある言葉に接してから、自分が「小人」以外の何者でもないと、はっきり認識できるようになった。

 小人下器はいさゝかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり。大人上器には似るべからず。大人はしかあらず。設ひ打たるれども報を思はず。
 ※『正法眼蔵随聞記』懐奘編 和辻哲郎校訂 岩波文庫p.103
 これを見ると「小人」とは、心に余裕のない、度量の小さな人間を意味するようだ。
 それなら気が短く、怒りやすくて、精神も安定しない自分などは、まさしく「小人」に他ならない。猛省に値する。





  「李賀」  20050510   【目次】

 先日ちょっと気が向いて、久しぶりに中唐のころ活躍した、李賀の詩集を繙いてみた。彼は若き天才として賞賛されながら、故あって官途を閉ざされ、憂憤の中、二七歳の生涯を終えた。
 その「贈陳商」という詩に、次のような一節がある。
 長安に男児あり
 二十にして心は已に朽ちたり
 楞伽は案前に堆(うずたか)く
 楚辞は肘後に繋る
 人生窮拙あり
 日暮聊か酒を飲む
 祇(ただ)今道已に塞がる
 何ぞ必ずしも白首を須(ま)たん
 (長安有男児 二十心已朽 楞伽堆案前 楚辞繋肘後
  人生有窮拙 日暮聊飲酒 祇今道已塞 何必須白首)
  ※『李賀詩選』黒川洋一編(岩波文庫 岩波書店1993 p.137)
 これを読むと恥ずかしながら、いまの自分自身を暴露されているようで、なにやら複雑な気持ちになる。
 二十代半ばで大きな挫折を体験し、田舎で小役人となって、なんとか口を糊している。大蔵経を座右に置いて無聊を慰め、学生のとき研究した楚辞は、本棚の隅で埃を被っている。もうすでに学者として成功する道は断たれており、後は年老いて朽ち果てるのを待つばかり、という心境だ。
 しかし自分は、李賀の倍ほども歳月を過ごしながら、なにひとつ才能を認められることもない。この先も、ただ凡々とした人生を、まっとうするしかないのだ。
 それでもすでに、こんな生き様を嘆き悲しむ感情は、枯れ果ててしまっており、定命が尽きるまで、ただひたすら淡々と歩んで行ければ、それで良い。





  「願」  20050422   【目次】

 「願」がなければ、人は人らしく生きていけない。
 少なくとも、進歩して生きることはできない。
 「願」は未来へ進もうとする意志であり、
 悪しき現状を打破しようとする意欲にもなる。

 ちょっとした個人的な望みを叶えるにも、ひろく人々の幸せを求めるにも、
 「願」としてそれをいつも明確に意識していなければ、現実のものとならない。
 夢でも良い、希望でも良い、その言葉はどうであれ、
 いまより少しでもましな将来へ向けて、まず「願」を立てない限り、
 あらゆる幸福は実現しない。






  「苦しみの日々」  20050405   【目次】

 おびただしく積読されている本の中から、数冊を取りだして、乱読するのが日課となっている。だいたいお勉強がらみのこむずかしいものが多いけれど、ある時ふと手にした詩集の中に、はっとする一節があった。
  「苦しみの日々 哀しみの日々」  茨木のり子
 苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは深くするだろう
 わずか五ミリぐらいではあろうけれど
 さなかには心臓も凍結
 息をするのさえ難しいほどだが
 なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
 あれはみずからを養うに足る時間であったと
 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
 やがては解るようになるだろう
 人の痛みも 柘榴のような傷口も
 わかったとてどうなるものでもないけれど
 (わからないよりはいいだろう)
 苦しみに負けて
 哀しみにひしがれて
 とげとげのサボテンと化してしまうのは
 ごめんである
 受けとめるしかない
 折々の小さな刺や 病でさえも
 はしゃぎや 浮かれのなかには
 自己省察の要素は皆無なのだから
 ※『倚りかからず』(筑摩書房1999 p.64)
 苦悩の日々が人間を深くしても、「わずか五ミリぐらい」というのは良い。
 かねがね出来あいのものではない、独自の思想がなければ、まともな詩など書けるものではないと考えていた。この老成した詩人の作品を読むとき、そのことがしみじみと感じられる。また「倚りかからず」という詩に、その辺の事情がはっきり宣言してあったりする。

 「苦しみの日々 哀しみの日々」で表現されている思想は、釈尊の教えにも、孔孟の教えにも、キリストの教えにも合致するものだ。
 しかしそれら古典の言葉は、どうも厳めしすぎて、現代では限られた人しか味わうことができない。この詩人が長い人生から、独自にあみ出してきたこれらの言葉は、ユーモアがあって、内容が深いにもかかわらず、すっと心へ入って行く。
 とりわけ今の若い世代に、広く読んで理解してもらえたらと、願わざるをえない。
 「はしゃぎや 浮かれのなかには/自己省察の要素は皆無なのだから」という意味を、よくわきまえて欲しいのだ。






  「みんな、敵がいい」  20050311   【目次】

 対人関係の悩みや苦しみは、ほとんど他者への依存心が起因となっている。
 頼りに思っていた人から、裏切り行為をされると、もっともひどい衝撃を受け、立ち直れなくなる。いわゆる「甘え」の関係が深ければ深いほど、受ける傷も大きくなる。
 しかし本来、人間は孤独な存在に他ならない。ほんとうに他者と心が通じることなど、ごくまれにしかなく、それも多くはお互いの幻想にすぎない。基本的には誰にも甘えたり頼ったりせず、あらゆる物事を自分の意志で始末する態度が大切であろう。
 とりわけ公私にかかわらず、大きな仕事を手掛ける時など、他人を頼り、外野の意見にふり回されていては、大局を見失う。

 徳川幕府の幕引きをした勝海舟などは、はっきりこのように言い放っている。
「ナニ、誰を味方にしようなどといふから、間違ふのだ。みンな、敵がいゝ。敵が無いと、事が出来ぬ。…相談々々といふのがいかぬ、既に、気が餓ゑてるもの」
 ※『海舟語録』明治三十一年十一月三十日(講談社学術文庫p.255)
 ただし、海舟が西郷南洲(隆盛)と対決した時のように、むしろ好敵手こそ真の友となることもある。
 またいま気に入っている、茨木のり子の詩にも、次のようなものがある。
  「倚りかからず」
 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ
 ※『倚りかからず』(筑摩書房1999 p.48)
 こうした独立独歩の精神がなければ、まともなことは何ひとつできない。





  「良寛と海舟」  20050219   【目次】

 隠居するなら良寛のように、出仕するなら海舟のように。
 ここ二五〇年ほどの日本では、この二人の行実が抜群に良い。
 中国にも老荘と孔孟の教えがあるように、
 その人の境遇に応じ、求むべき思想はおのずと異なる。
 ただ良寛も海舟も、無私の精神により、
 真実の道を歩もうとしたところは共通する。
 偏狭な自分の意識にとらわれていては、万人に通じる生き方などできない。






  「勝海舟」  20050209   【目次】

 いま再び、勝海舟の伝記を読み返している。
 学生の頃『氷川清話』を一読し、その自由奔放な発言に、ずいぶん感銘を受けた。ただその頃は、おもしろい読み物のひとつとして楽しんだに過ぎず、海舟の話が嘘なのか本当なのか、まったく判断できなかった。
 正直なところ、あまり調子が良すぎるので、法螺半分かなと思っていた。

 しかし田舎へ帰ってから、少しばかり地域史をかじり、近世の日本について、色々学ぶ内、海舟の生きた時代への理解も深まった。そうして改めて彼の発言を読むと、いくらか記憶違いや事実誤認はあるにしても、概ね真実を語っていたと判断できた。
 彼は当時、ほとんど誰にも理解されず、幕府を解体しつつ、徳川家を温存させた。その手腕は実に見事であったのに、一般的にあまり評価されなかった。しかし当の本人はそんな浮き世の毀誉褒貶など、まったく意に介さず、奔放不羈な態度を生涯貫き通した。
 やはり、尊敬に値する人物であったといえよう。